BLOG WEST STYLE

エンタメ小説家・西式豊の映画感想ブログです

映画『サタデー・フィクション』の感想

ロウ・イエ印のパルプ・フィクション

 

注:観客の興趣をそぐことがないと思われる範囲で、作品の内容に言及しています。

 

これは多分に自分の勉強不足からきている事実誤認の類だと思うのだが、長い間ロウ・イエは政治的な映画監督なのだと思っていた。なにしろその存在をはじめて意識したのが『天安門、恋人たち』である。中国政府からにらまれて五年間の製作禁止処分をくらったというオマケ付きだ。フランス・香港合作と言う抜け道で検閲を逃れて製作された次なる『スプリング・フィーバー』のテーマは同性愛。これまた中国社会では禁忌とされている題材となれば、確信犯的に当局に中指つきつけていく創作スタイルなのだと理解するのも無理からぬところだろう。

 

その認識が一変したのが前作『シャドウプレイ』。不動産バブルに踊る中国の地方都市で発生したひとつの事件を起点として、急速に近代化を推し進めた中国現代史を活写するという内容は、確かに社会派としての視点を包含してはいるものの、錯綜する色と欲が織りなす犯罪絵巻という本筋は、スリラー/ノワールのお作法を完璧に踏襲したすこぶる娯楽性の高いもので、いよいよロウ・イエもエンタメに舵を切ったのかと感じ入ったものだった。そこにきての本作である。

 

1941年12月。太平洋戦争開戦前夜。魔都・上海。風雲急を告げる国際情勢を反映して、各国のスパイがしのぎを削って暗躍する状況下に、国際的な人気を誇る大女優ユー・ジン(コン・リー)がやってくる。表向きはかつての恋人(マーク・チャオ)が演出を務める舞台に出演するためとの理由だが、彼女には連合国側の凄腕スパイという裏の顔があった。今回のミッションは、日本の海軍少佐古谷三郎オダギリジョー)から、某重大情報を奪取すること。かくして、敵味方が複雑に入り乱れる虚々実々の諜報戦の火ぶたが切られた。

 

上記の粗筋からも明白なとおり、近代史異聞的な物語の建てつけだけに、当時の中国内における各勢力の利害関係が頭に入っていないと少なからず理解が及ばない部分があることは事実。そういう意味で、鑑賞前には公式サイトの人物相関図で予習しておくことを推奨するが、本作は決して難解な作品ではない。

 

いやいや、時系列は飛びまくるし、作中作であるお芝居の内容は本筋に浸食しまくるし、なにがなんだかわからないでしょう? というツッコミも入ってきそうだが、そこらへんはわからないまま見てもまったく差し支えない。というよりも、自分のよって立つ場所が虚構なのか現実なのか判然としなくなっているという状況自体が、女優にしてスパイという(まさに、二重三重の意味で虚構を生きざるをえない)ヒロインの偽らざる認識なのだとすれば、この「わからなさ」こそが、観客シンクロ率を高めて作中世界の臨場感をマックスにまで高める最適解のアプローチだと受け取るべきだろう。

 

スパイというのは不思議なもので、その存在は高度な政治上の駆け引き以外の何物でもないにも関わらず、ひとたび虚構の世界に身を移せば、ロマンティックでスリリングな物語の駆動力として機能しはじめる。本作におけるスパイにも、単なる歴史的事実以上の政治的背景はまったく存在しない。なにしろ大女優にして凄腕スパイなどという設定の時点で、完全にフィクションに振り切っていることは明らかだ。ようするに本作でロウ・イエが目指しているのは、純粋に映画表現として追及可能な娯楽性であり、いうなれば一種のプログラム・ピクチャーであるようにさえ感じられるのだ。

 

実は今回、本作のパンフレットを読んではじめて知ったのだが、もともとロウ・イエの映像作家としてのキャリアはアニメーターからスタートしたもので、『花の子ルンルン』や『銀河鉄道999』を見てその技術を学んだと明言している。

となればむしろ、ロウ・イエを政治の人として見るのは誤りであり、映像を通してエンターテインメントを提供するという側面も、動かしがたいルーツとして存在していると考えても良いはずだ。

 

ちなみにタイトルである『サタデー・フィクション』とは、1920年代の中国で人気を誇った「鴛鴦蝴蝶派」と呼ばれる娯楽小説作家たちの中心的な活躍の場であった雑誌「礼拝六」からとられたものだそうである。大時代的なロマンスと並んで、犯罪・探偵小説などをも掲載した同誌の存在を思えば、本作の本質は創作家の心中に蓄積された娯楽的記憶の再構築にあり、観客もまた、それを無心に享受すればよいのだともいえるだろう。

 

作品情報

タイトル:サタデー・フィクション
原題:蘭心大劇院 Saturday Ficiton
配給:アップリンク
劇場公開日:2023年11月3日

監督:ロウ・イエ

脚本:マー・インリー

出演:コン・リー/マーク・チャオ/オダギリジョー(他)