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エンタメ小説家・西式豊の映画感想ブログです

映画『悪い子バビー』の感想

「地獄の底で健全に生きる方法」

 

注:観客の興趣をそぐことがないと思われる範囲で、作品の内容に言及しています。

 

 

1993年の世界公開時点で、ヴェネチア映画祭の三部門で賞に輝きながら、なぜか日本では『アブノーマル』とのタイトルでキワモノ的にビデオスルーされただけという作品が、30年の時を経てまさかの劇場公開。その背景には、この手の怪作の(『荒野の千鳥足』とか)ソフト販売戦略には一日の長のあるキングレコードさんの辣腕もあるだろうが、映画好きの心をつかむには十分なフックである。

 

主人公バビーにとって、不潔で暗鬱な地下室は世界のすべてだった。一歩でも外に出たら、猛毒の空気で命を落とす。そんな風に母親から躾られて育ったからだ。中年前期の息子と初期高齢者の母。一方的な支配と隷属を基盤とした二人だけの歪んだ生活は、ある日突然、父と名乗る人物が戻ってきたことから終わりを告げる。我々が済む「社会」へといやおうなく放り出されたバビーは、生まれてはじめて自分の意志で生き、他者との関係性を構築していくことになる。

 

物語劈頭からけっこうな時間をかけて描写される地下室の生活は、あまりの異常性が若干のユーモアを帯びつつも、その本質を考えれば「ザ・地獄絵図」としか言いようのない光景だ。けれども、そこから解放されたバビーが外の世界を遍歴する後半に至っても、事態は一気に好転なんて能天気なことにはならず、さらなる試練の連続が襲いかかってくる。


なにしろ道中でバビーが出会う様々な人たちは、たとえ好意的に接してくれても、基本的には彼のことをアウトサイダーとしか見ていないから、最後の決定的人物との出会いを除けば、どこまでいっても対等な関係が構築されることはないのだ。

 

そのために主人公が置かれた環境は、次から次へと目まぐるしく移り変わり、それに応じて映画自体も、脈絡のないドライブ感で数珠つなぎになったエピソードの連続として構成される。童話のような自由さを感じさせる唐突な展開の数々は、本作が構造的には『ピノッキオ』の本歌取りであることを如実に示すと同時に、どこまでも混沌として無慈悲なこの世界(我々が生きて構成している現実社会)の実情を鮮やかに再現する効果も生み出している。ようするに「世界はクソ」なのだ。

 

だからといって、主人公であるバビーが「聖なる愚者」として社会の矛盾に警鐘を鳴らす、的な紋切り型にはまったくならないところが本作の美点である。なにしろバビーの行動ときたら、そのほとんどが性欲(大きなおっぱい)と食欲(ピザ尊い)という、徹頭徹尾脊髄反射レベルの低次欲求に従っているだけなのだ。物語上は彼を導いていくことになる音楽にしても、ただ単に聞いていて楽しい、心が躍る、といった快感原則に引き寄せられているだけで、集光性の虫が街灯に群がってくるのと大差はない。

 

なによりもここで注目すべきは、世界との接点を構築するよすがとしてバビーの口にする「言葉」が、これまでにどこかで耳にした他者のセリフを、文脈を無視してシチュエーションの類似だけで繰り出しているすぎないという点だ。
地下室の母から、父と名乗る男から、あるいは袖すり合った他者から得た言葉をオウムのように繰り返すことで、なんとか目の前の相手とのコミュニケーションを構築しようとするバビーの姿からは、人間の社会性を構築する要素が「受容→模倣→再生産」というプロセスの繰り返しであるという事実が改めて浮かび上がってくる。

 

けれどもそれは「彼」だけの特殊な行動原理なのだろうか? たとえば作中でバンドのボーカリストが思わせぶりに語る宗教と戦争に関する想いや、パイプオルガニストがさも世界の真実の如く語る神の否定にしたところで、それは本当にその人間のオリジナルな思想なのだろうか? もっともらしく恰好良いことを言っていても、所詮は先人の言葉の受け売りに過ぎないのではないか? 私にはそんな風に感じられてならなかった。

 

意識とは所詮「受容→模倣→再生産」というプロセスによって生成された一種のシステムに過ぎないのではないか? バビーという極端にインプット例の少ない人物だからこそ明らかになったその冷徹な気づきを、社会全体にまで拡大適用させてしまったところにこそ、本作の妙味があると感じた所以である。

 

世界はクソ。人はシステム。そこには美も調和も尊厳もない。
だからこそ、平凡で絵にかいたような瞬間にささやかな幸福を満喫したっていいじゃないか。そんな風に開き直るラストが、温かく親密な感情をも想起させるのだ。

 

作品情報

タイトル:悪い子バビー 

原題:Bad Boy Bubby

1993年製作/114分/R18+/オーストラリア・イタリア合作
劇場公開日:2023年10月20日

監督:ロルフ・デ・ヒーア

脚本:ロルフ・デ・ヒーア

撮影:イアン・ジョーンズ

音楽:グレアム・ターディフ

出演:ニコラス・ホープ/クレア・ベニート(他)