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エンタメ小説家・西式豊の映画感想ブログです

映画『鯨の骨』の感想

「自分はリアルな存在だ、という事実への諦念と希望」

 

注:観客の興趣をそぐことがないと思われる範囲で、作品の内容に言及しています。

 

詩的でありながらも、どこか寂しく不穏でもあるタイトルの意味は、映画の冒頭で開示される。

深海では死んだ鯨の骨の周囲には微細な生物が集まり、ひっそりと人知れぬ生態系が構成されているそうなのだ。

 

結婚を間近に控えた婚約者に二股が発覚し、意気消沈している間宮(落合モトキ)は、同僚の勧めではじめたマッチングアプリで、ミステリアスな女子高生(あの)と出会う。流れから間宮の部屋へとやってきた二人。だが、間宮がシャワーを浴びている間に彼女は唐突に服毒自殺を遂げてしまう。どう考えてもヤバい事態だとうろたえた間宮は、彼女の死体を山中に遺棄しようとたくらむが、穴を掘っている最中に今度は死体が忽然と消失する。

釈然としない想いを抱えながらも日常に戻った間宮だったが、カルト的な人気を誇るAR(拡張現実)アプリ〈ミミ〉で、半ばアイドル的に信奉者を集める〈明日香〉が、消えた女子高生と瓜二つだったことを知って、仮想世界に彼女が残した足跡を追い求めはじめる。

 

なんと言っても本作の白眉は〈ミミ〉という拡張現実アプリの描写にある。

投稿者が任意の土地で自分を写した動画をアップロードすると(作中ではこの行為を「穴に埋める」と呼ぶ)、同じアプリをインストールした他者もその場所へ行けば(穴に潜れば)、まるで目の前に投稿者が存在するかのように、現実の上に重ねられた対象の動画を再生することが可能になるという仕組みだ。作中では、明日香のファンたちが彼女の動向を知るために、新たな〈穴〉の探索を、まるでRPGかなにかのように楽しんでいる様子が描かれる。

現実世界のうえに、幾層にも折り重なって多数の見えないコミュニティが存在するが、その実像はネットを介してつながった限られた人々にしか見えないという状況は、ARという完全実装されたとはいいがたい技術を通して描かれてはいるが、発信者の承認欲求と受信者の共感・帰属欲求を両輪にして成立する、2023年のネット社会の鮮烈な可視化に他ならない。

 

主人公間宮の明日香を探す彷徨は、〈運命の女〉を追い求める系のハードボイルド/スリラーとして鉄板のジャンル的な面白さを維持しているが、なによりも着目すべきはその過程で出会う明日香の狂的な信奉者(宇野祥平)と主人公とのモチベーションの差異だ。信奉者が明日香の〈穴〉を探すことにだけ喜びを見出しているのに対して、間宮を駆動するのは、あくまでもリアルの明日香に対するこだわりが生み出した、〈彼女はいったい何者なのか〉という謎なのだ。

 

結論から言うと、その謎には作中で100%完璧な正解が用意されている。けれども、彼女がどういう人間で、なにを求めていて、これまでの行動の背景にはどんな渇望があったのかは、最後まで謎のままだ。なぜならば、主人公である間宮がそれを知るのは(あるいは知らずに終わるのは)、リアルの明日香と出会ったことによってはじまる別の物語にゆだねられているからであり、そういう意味でも本作は、近未来的なテクノロジーをフックとして描かれた、しごく古典的なボーイ・ミーツ・ガールであり、ヒロイン自身がより能動的という意味で、ガール・ミーツ・ボーイの物語なのだ。

 

物語の落とし所とその瞬間の主人公たちの表情を観れば、本作は一見するとバーチャルへの懐疑とリアルの肯定という、それ自体が古典的な人間観に基づいたものであるとも読める。

けれども私はむしろ、どんなにコミュニケーションの形が変化しようと、どんなに仮想が現実を浸食しようと、それでも〈自分〉という魂を収める器はリアルな肉体以外になく、どこまでいっても現実を捨て去ることはできないし、リアルな肉体の空虚さはリアルな接触でしか埋めることができないという事実に対する諦念のような感情を強く感じた。

 

だからこそ、容易には埋まらない空虚さを満たす代替物としてのバーチャルは、これから先も決してすたれることはないばかりか、手を変え品を変え、新たな形で現れ続け、人々に支持されていくはずだという逆説がそこには存在する。

その事実を端的に表すのが、鯨の骨に群れ集まる深海の生物のように、新たなアプリが生み出した関係性に吸い寄せられる人々を、まるで潜水艇の窓から観察するように写したラストシーンなのだろう。

 

結局のところ観客にゆだねられているは、作中のなにがしかの謎などではなく、その事実を希望として受け取るのか、絶望として受け取るのか、という二者択一であり、そういう意味でも本作は、いまやネット社会とニアリーイコールである2023年の〈世界〉の姿を、きわめて正確に物語化した作品であるともいえよう。

 

作品情報

タイトル:鯨の骨

2023年製作/88分/G/日本
劇場公開日:2023年10月13日

 

監督:大江崇允

脚本:大江崇允/菊池開人

撮影:米倉伸

照明:高井大樹

録音:阪口和

音楽:渡邊琢磨

出演:落合モトキ/あの/宇野祥平(他)